養老孟司著『虫の虫』を読んでの所感【もう一度、『少年の旅』に出かけよう】
この記事では、養老孟司著『虫の虫』を読んでの所感について記述させて頂きます。
はじめに
当ブログをお読みくださるようなマニアックで奇特な皆様はすでにご存知のことと思いますが、解剖学者の養老孟司先生は非常にヘビィな虫屋でいらっしゃいます。
私はクワガタ・カブトムシ飼育を始める前から養老先生の著書や雑誌等を通じて、養老先生が虫屋、とりわけゾウムシ研究の第一人者でいらっしゃることは存じておりました。
今回は、養老先生の著書『虫の虫』についてほんの少しだけ読後の所感を記述させて頂きます。
こういう生き方にも憧れる
私は結構なんと言いますか、ミーハーなところがございまして、「この人みたいな生き方憧れるな〜」ということがよくあります。
それはスポーツ選手だろうと研究者だろうとよくありまして、養老先生の生き方もその1つです。
私自身が平凡な生き方をしておりますので、無い物ねだり的に人の生き様に憧れを抱いてしまうのだと思います。
養老先生は解剖学者としてや作家としてご活躍される一方、ゾウムシの研究に励んでおられ、鎌倉にさながら研究施設とも言える別荘をお持ちです。
正に憧れる人生です。
又、もう1つ励みになりますのは、そんな養老先生も在職中はかなり長く虫から離れ、50代後半にして虫屋に復帰されているということです。
幼少の頃から当然昆虫や自然に親しんでこられ、大学職に入って仕事が忙しく昆虫から離れてしまいます。
その後、東大医学部教授を定年前に退職され、現在のような活動に専念されているのです。
私も現在行なっているような趣味はどれも「もっと若い頃からやればよかったな」「結婚する前に始めればよかったな」「子どもが生まれる前に始めればよかったな」と感じるものばかりなのですが、養老先生のように50代から現在(80代)に掛けて精力的に活動できることをお示し頂きますと、我々も遅すぎるということはないのだと大変励みになるわけです。
『虫の虫』で感銘を受けた主な箇所
とはいえ私も、今の生活を捨てて1つのことを研究することを主にした人生に急に切り替えることはできません。
この辺りも私が凡人であるが故です。
しかしながら私のような凡人でも、凡人だからこそ、こういった本から感じることもあります。
今回の記事では主に感銘を受けた2箇所だけ触れさせて頂きます。
「退屈」なのは「同じ自分で止まっているから」
私自身、特に歳をとってきますと、何かにつけて物事が慢性的、惰性的になってしまったり、「最近面白いことないなぁ」と感じてしまいがちです。
しかし、以下の部分を読みますと、それは面白いことがない(起きない)周りが悪いのではなく、「同じ自分」で止まっている自分自身の問題なのだということに気付きます。
自分がいつも同じなら、同じことをやっていれば、飽きるに決まっているではないか。でも、自分が変われば同じことが違って見える。(中略)ときどき若い人が「退屈だ」という。退屈なのは、どこまで行っても「同じ自分」で止まっているからである。(中略)でも、虫採りは違う。同じ山に虫を採りに行ったらわかる。なぜ、同じところに行くのかといったら、そのつどいる虫が違うからである。(中略)それだけではない。山は行くたびに気分が違う。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」。鐘は剛体である。剛体は固有振動数があって、叩けば同じ周波数で振動する。つまり、同じ音がする。じゃあなぜ、諸行無常なんだ。聞くほうの気分が、そのつど違うからであろう。
思い込みを壊す『発見』をすると生まれ変わり、歳をとらない
歳をとると頭が固くなるとよく言いますが、自分自身もそう感じることがあります。
それはやはりある程度様々なことを経て良くも悪くも『経験則』が効くようになり、経験則により問題に対処することができることもありますが、一方で時に思い込みから「どうせこうだろう」という思考に陥ってしまうことも多々あります。
しかし色々な興味を持ち、興味を持っていることを掘り下げていき『発見』や『気付き』を繰り返すことでいつまでも少年の心を忘れずに生きていくことができると思いますし、その方が人生も豊かになると思うのです。
そして様々なことに興味を持って『発見という生まれ変わり』を繰り返すことによっていつまでも若々しくいられると思うのです。
思い込みが壊れるのも発見の一つである。発見とはじつは、常に自分に対する発見なのである。思い込みとは、要するに「自分の考え」だからである。思い込みが壊れるとは、自分の考えが変わることである。自分の考えが変わるということは、自分が変わる、それまでとは違う自分になる、ということである。極端な場合はそこで「生まれ変わる」。思い込みが壊れる経験を何度もしていると、歳をとらない。そのつど「生まれ変わる」のだから、当然であろう。私はそう思う。老人になると頑固になるのは、思い込みがひたすら強くなるからである。そんな思い込みは、自分で壊してしまえばいいのである。
堅い話は抜きにして、昆虫採集に行きたい!
ということで、また夜中に記事を書くと内容がよくわからなくなってしまいました。
お読みくださっている奇特な方には、本当に申し訳ございませんでした。
堅い話は抜きにしまして、今年はクワガタ・カブトムシのブリードを精力的に行うのは家庭の事情からいささか難しそうなのですが、採集には行きたい!
クワガタ・カブトムシ採集はもちろんなのですが、広く『昆虫』の採集に行きたいなと思いますね。
クワガタ・カブトムシを飼育し始めてから、昆虫に対する嗜好みたいなものも少しだけ確立されてきまして、今シーズンは是非採集したいと考えている昆虫もいます。
なかなか時間が確保できず、しょっちゅう採集に行くというのは困難ですので、狙いの種を絞って、是非子どもも連れて積極的に行きたいですね。
もう一度、『少年の旅』に出かけよう
若干養老先生の話に戻るのですが、私は以前『Free&Easy』という雑誌(株式会社イースト・コミュニケーションズ発行、2016年休刊)を結構愛読していました。
その雑誌で「もう一度、『少年の旅』に出かけよう」という特集の号(2012.7)がありまして、この号が特に好きです。
この号の中で養老先生のことが紹介されておりまして、当時はまだクワカブ熱が再燃していなかった私ですが、「あ〜また子どもの頃みたいに昆虫採集に行ってみたいな〜」と思ったものです。
幸いにして、今こうして昆虫のことにまた興味を持ち、そのおかげでクワカブ飼育を通じて新たな発見があったり、色々と調べ物をして発見があったりしています。
昆虫採集も非常に勉強になるし、自然と触れ合えるし、安易な表現をお許し頂きますととても『おしゃれ』だと思うんですよね。
『少年の旅』に出ることができる人は、人間として豊かだと思いますし、得てしてそういう人は仕事もできるし、一方で育児なんかも積極的だったりするような気がするんですよね。
最後に
さて、ということで今年ももう4月に入ってしまいました。
仕事も私生活も慌ただしく忙しい(休みも碌にない…)ですが、昆虫採集の計画を今から立てておかないとですね。
※内容はあくまでJBの主観になりますのでご了承いただければ幸いです。