10年前の今日、僕は友人を亡くした【NZ地震から10年】
10年前の今日、僕は高校時代の友人を亡くした。
ニュージーランド地震である。
常に笑顔を絶やさない、本当に心優しい男だった。
2011年カンタベリー地震(2011ねんカンタベリーじしん)は、2011年2月22日12時51分(現地時間)にニュージーランドのカンタベリー地方で発生したモーメントマグニチュード(Mw)6.1の地震である。特に被害を受けた都市クライストチャーチの名を取って「クライストチャーチ地震」「リトルトン地震」、また単に「ニュージーランド地震(NZ地震)」と呼称される場合もある。
(引用:Wikipedia)
高校に入学した僕は、クラスメイトとして彼と出会った。
自宅は遠かったが、部活が隣だったこともありすぐに親しくなった。
当時僕は、彼を含む友人数人と、とある格闘ゲームに熱中していた。
僕の自宅が比較的高校から近かったこともあり、対戦する時は決まって僕の自宅だった。
彼は物凄く強くて、おそらく僕は1回も勝ったことがなかったと思う。
その余裕なのか、僕達に対するハンデとしてそうしてくれていたのか、対戦の時、彼はなぜか決まって女性キャラクターばかり使った。
それを、「スケベ!」等と言って笑い合ったものだった。
僕に入った第一報は、夜も更け込んだ時間だった。
訃報ではなく、「彼が行方不明らしい」ということだった。
つまり安否が確認できていないということである。
地震と彼のことは、僕の頭の中ではすぐに結びつかなかった。
僕の友人の身に(それも国外にいるのだ)、そんなことが起こるなんて、僕の理解を超えていた。
その日、行方不明者として公開された彼の写真は、彼らしい、屈託の無い明るい笑顔だった。
当時すでに高校を卒業しており、しばらく彼の顔を見ていなかったから、その笑顔だけが僕の脳裏に焼き付いた。
その後、高校時代の仲間と集まっても、彼の話をすることは少なかったように思う。
もしかしたら、誰が言い出したわけでもないけれど、どこか彼の名を口にすることが憚られるような、一種のタブー視のようなものがあったのかもしれない。
数年後、僕は当時例の格ゲーをやっていた友人と2人で「追悼プレイ」をした。
友人と食事をした後、なんとなくそういうことになったのだ。
その格ゲーをプレイするのは高校以来である。
僕もその友人も、女性キャラクターばかり使って対戦し、彼を想った。
彼が女性キャラクターばかり使っていたことを話し、笑った。
それからは、なんとなく彼の話をしても良いような気がした。
追悼の気持ちは人それぞれである。
本当はこのことを当ブログ如きで触れようとは思っていなかった。
彼を偲ぶ思いは自分の心の中に持っていればいいのだ。
しかし、今日1日を通じて報道を見ていると、この10年の節目に想いを綴らないと、もうきっかけが無い気がしたのである。
最後に、改めましてご冥福をお祈りいたします。
※やはりそぐわないと思いましたら当記事は削除させて頂きますのでご了承ください。