ありがとうショーン・コネリー【あなたがいなければ間違いなく今の私は無かった】
去る2020年10月31日、イギリスの名優『ショーン・コネリー』がお亡くなりになられました。
1930年8月25日生まれ、享年90歳でした。
心よりご冥福をお祈りいたします。
なかなか記事を作る時間が取れず、若干日数が経過してしまいましたが、当ブログにおきましては、このことに触れずにはいられません。
007シリーズ第1作で言わずと知れた初代ボンドに
訃報を聞きましてから、007シリーズ第1作『007/Dr.NO』(1962年)を観返しました。
改めて観ますと、スラッと長身でありながら、ワイルドな雰囲気が漂うコネリー=ボンドには、やはり惹きつけられる魅力がありました。
当時世界中の人がボンドの冒険譚に熱中した気持ちがわかります。
当時原作者のイアン・フレミングは原作小説の映画化に熱心だったようで、原作者や映画制作サイドではジェームズ・ボンドにふさわしい俳優をキャスティングするのはとても重要だったわけですが、名のある俳優はシリーズの複数作契約がまとまらず、そこで当時比較的無名であったショーン・コネリーが選ばれたのでした。
当時コネリーは「原作にはセックス、アクション、ファンタジーが詰まっている。映画化するにはうってつけの組み合わせだ。」と語り、5作の出演契約を締結したということです。
スコットランド・エジンバラの貧困街に生まれたコネリーは、元トラック運転手で、マンチェスター・ユナイテッドからのスカウトを断って俳優になったということで、原作のボンドとは異なった性格の持ち主でした。
しかし、そういった出自であったことも、むしろボンドにワイルドな魅力を加えることとなり、以後の007シリーズ、ひいてはアクション映画を形作ったものと言えます。
その後、約60年に渡り007シリーズの映画が世界中の人に愛され続けているのは、当時原作の人気も上昇するなどポジティブな要素もありましたが、やはりコネリーの魅力によるところは大きかったものと言わざるを得ません。
007シリーズにおけるフィルモグラフィー
当ブログ如きがご紹介するまでもないことですが、数あるコネリーの出演作の内、007シリーズにおける出演作だけ触れさせていただこうと思います。
一般的に評価が高いのが「ロシアより愛をこめて」、有名なのが「ゴールドフィンガー」でしょうか。
あと、「007は二度死ぬ」では日本が舞台となっています。
ドクター・ノオ(1962年)
ロシアより愛をこめて(1963年)
ゴールドフィンガー(1964年)
サンダーボール作戦(1965年)
007は二度死ぬ(1967年)
ダイヤモンドは永遠に(1971年)
あなたがいなければ間違いなく今の私は無かった
私自身、これまでの人生で多大なる映画の影響を受けてきましたが、007のそれが最たるところです。
私が最初に出会ったボンドは5代目ボンドである『ピアース・ブロスナン』でしたが、その後、過去作も観ましてそれぞれのボンドの良さを感じました。
そして、今日まで007シリーズが存続しているのはコネリーのおかげであり、今日まで007シリーズの影響を受け続けている私にとって、もしコネリーがいなければ間違いなく今の私は無かったと言って過言ではありません。
改めまして、謹んで心よりご冥福をお祈り申し上げます。
※内容はあくまでJBの主観になりますのでご了承いただければ幸いです。