【ネタバレあり】『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』のJB的レビュー
この記事では、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』について、私の所感を記述させて頂きます。
はじめに
もう1年以上前のことになりますが、本作の製作が発表された日、私は驚きの余り当ブログにおいて記事にさせて頂きました。
そして、その後実は私自身もこの映画を観ていましたので、なんだかこの過去記事がこれまで投げっ放しになっているようで気になっていました。
と言いますのは、当ブログをお読みくださる奇特な方でご存知の方もいらっしゃるかと思うのですが、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は賛否両論と申しますか、むしろ“否”の意見が非常に多い映画となっています。
私もこの映画についての想いを言語化すれば、どうしても概ね“否”になってしまうので、当ブログにそぐわないと思い、記事にしようか迷っていました。
また、私はお金を払って観た映画を否定するのは個人的に好きではありません。
さらに、奇特な方しかお読みにならないとはいえ、ブログという公の場で批評するのも好きではありません。
しかし、すでに本作は公開を終えDVD化までされていますし、この映画を真に観たいとお考えの方はすでに観られたタイミングになったと思います。
ですから、投げっ放しになっている過去記事のアンサーをそろそろ書いても良かろうという風に気が向きましたので、端的にではございますが記事にさせて頂くことにしました。
ご了承頂ければ幸いです。
まずは“ありがとうございました”
まず、この映画が製作、公開されましたことにつきましては、改めて感謝申し上げたいと思います。
我々ゲームファン(ドラクエファン)思い出のドラクエ5を立派な映画にして頂いてありがとうございました。
興行収入などはどうだったか
2019年の興行収入ランキングを確認しますと、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は、
41位 14.2億円
となっています。
これは善戦とも言えると思いますし、「あれだけプロモーションしたのだから当たり前」「夏の東宝映画で、しかもあの『ドラクエ5 』を題材にしているのにコケ過ぎ」とも言えると思います。
ただし、映画の出来(あるいは観た人がおもしろいと感じるか)は必ずしも興行収入とリンクしないことは言うまでもありません。
例えば今ほどの2019年興行収入ランキングで申しますと、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』のすぐ側に、
39位 プロメア 15億円
がおりますが、こちらは大変高評価の映画です(ここでは語りませんがめっちゃ面白いです)。
また同じく側に、あのクエンティン・タランティーノ監督、レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット主演でアカデミー賞では作品賞を含む10部門にノミネートされ、助演男優賞と美術賞を獲得した『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』がおりますが、
49位 11.8億円
となっています(ここでは語りませんがめっちゃ面白いです)。
なにがそれほど批判されているのか
本作は何がそれほど批判されているのか。
一目みればわかりますのでご覧になられた方はご存知かと思います。
本作の展開を超ざっくり申し上げますと、
概ね原作に沿ったストーリーが進行
↓
クライマックスでドラクエ5を(ゲームを)否定
↓
ドラクエ5を(ゲームを)肯定してエンディング
となります。
この展開、そしてメッセージを発すること自体は別に構いません。
ただそのやり方、そしてあの『ドラクエ』でやったことで批判の的となってしまいました。
※ 以下話題の性質上いわゆるネタバレを含みます。
すでに公開を終えDVD化までされていますが、お読みになりたくない方はご注意ください。
JBの所感
まずドラクエに関しましては、人それぞれの思い入れがあると思いますし、あるいはプレイしたことがないという方もいらっしゃると思います。
私自身の『ドラクエ5』に対しての想いにつきましては過去記事に記述させて頂きましたので、ここでは省略させて頂きますが、つまりドラクエファンの中でもとりわけ思い入れが強い方が多いのが『ドラクエ5』だと考えます。
私のような(ニワカではありますが)ドラクエファンという立場から、心情的に本作に対する印象というのは厳しいものにならざるを得ない部分もあろうかと思います(ただし、別に本作に限らず、たとえどんな映画でも全くの予備知識無しに完全にフラットな気持ちで観ることも少ない気もしますが)。
しかしながら、先日DVDで再度観賞していた際、傍目で観るでもなく観ていた妻(ドラクエ未経験者)も「何、今の?引いたんだけど。」と言っていましたし、というか客観的に観てそうだろうと私も思いますので、必ずしもコアなドラクエファンだけが騒ぎ立てているというわけではないと考えます。
クライマックスに至るまでの展開は概ね良好
『ドラクエ5』は、
パパス → 主人公 → 子ども達
に係る壮大なストーリーになります。
私の思いでは、RPGに(少なくとも当時は)自由度を重んじていた堀井雄二さんが自由度を犠牲にして思いっきりストーリー性に振ったのが『ドラクエ5』であろうということは前回記事に記述させて頂いたところです。
つまり映画1本にまとめるのは非常に困難だったと思うのですが、原作を踏襲しつつ良好にまとまっていると思います。
もちろんダイジェストのようなきらいはありますし、いささか不可解な設定や展開(例えばマスタードラゴンがいないと辿り着けなかったラストダンジョンに応援部隊が来るとか)もありますが、文句を言えるレベルではないと思いますし、本作を観れば『ドラクエ5』のストーリーが概ね理解できるのではないかと思います。
これだけでも今回の映画化の功労は十分あろうかと存じます。
ただし、あくまでドラクエ5プレイ済みの私の感覚ですので、無意識に記憶でストーリーを補完していることは否定できません。
よって、全くドラクエ5をお知りでない方がご覧になった場合はその限りではないと思います。
配役は声優で固めて欲しかった
本作は非常に豪華な配役となっています。
一流どころばかりですので、もちろんそれぞれ素晴らしかったのですが、それでもやはり配役はプロの声優陣で固めて欲しかったという思いを禁じざるを得ません。
私のようなど素人観客でも、声を聴けば即時「あ、これは声優さんじゃないな」とわかります。
やはり声の演技には、ただ演技が上手い下手だけではない要素があります(実写映画や舞台の演技に動きや表情が加わるように)。
プロモーション上の問題など諸事情があろうかと思いますが、出来る限りお願いしたいところであり、そう感じている人も少なくないのではないかと思います。
クライマックスについて
「大人になれ」
「さあ現実に戻りなさい」
クライマックスで問題の展開になった際にミルドラースが口にする言葉です。
それにしてもこの展開…私などは本作の評価が荒れてから観賞した口ですので心の準備ができていましたが、公開当初に劇場観賞された方はさぞ驚かれたことと思います(とは言え私も「一体何が起きるのか…?」と初見は恐かったです)。
それまで普通に戦っていたのに、突如ミルドラースのキャラコードを偽装したというコンピュータウイルスが現れ、展開がガラリと変わるのです。
それどころか、正に一緒に戦っていた妻や子どもをはじめ、全てのキャラやフィールドも停止し、消し去られるのです。
つまり、主人公がいた世界はドラクエの世界でなく、プレイヤーがいる『VR』の世界だったというオチなのです。
奥さんであるビアンカ、息子のアルスをはじめ仲間達が突如ピタリと停止し、真っ白にされ、消し去られる。
これって下手な演出より余程グロテスクです。
その後の主人公とミルドラースのやり取りです。
リュカ(主人公)「僕にとってゲームの世界は決して嘘じゃなかった!」
リュカ「たとえそれがプログラムでも、こいつらと過ごした時間は…そしてこの旅は…この戦いも…この出会いも…全部ここに残ってる!」
ミルドラース「それは虚無だ!幻影だ!」
リュカ「違う!もう1つの現実だ!」
私はこれを聞いて、「なるほど山崎監督は“現実だ”などと言いながら、所詮現実なんかじゃないと思ってこの映画を作っているのだ」と確信しました。
もちろん、何も私を含め観客も「思い出のゲームは本当に現実だ」なんて思ってはいません(当然ですが)。
ただ、本当に感情移入して大切に思っているならば…『ドラクエ5』が本当に“マイ・ストーリー”であったならば、主人公の家族や仲間達の動きを停止させ、真っ白にし、消し去る演出など、ああいった展開にはできなかったはずだと思うのです。
あるいは、このような展開、演出をファンが納得するはずが無いと気付けたはずです。
もう1つ、いや2つ思いますのは、“この時代に、わざわざドラクエで発信する必要の無いメッセージだった”ということです。
本作ラストのメッセージを発するのであれば、ドラクエでなくオリジナル作品でやるべきであり、人の思い出の上に立って発するべきものではありませんでした。
また、“ゲームは思い出であり、いい大人がやるものでない”と言わんばかりの展開はいささか前時代的に感じます。
ゲームをプレイすることのマイナス面、もっと言えば、ゲームが教育に悪影響だとか、凶悪犯罪の背景にゲームの影響があるだとかは、(実際に影響があるのかは私はわかりませんが)もう10年も20年も前に散々言われたことです。
『家庭用ゲーム機』の性能、機能が向上し、単なるゲーム機とは呼べないこの時代です。
さらにはかつてゲームなどしていなかった大人でさえも、スマホゲームの1つや2つはやっているという人が非常に多い時代です。
メッセージそのものも、今の時代にしっくりくるものではなかったと言わざるを得ません。
いろいろと記述させて頂きましたが、ではどんな展開なら良かったのかと問われると、それはわかりません。
あそこで普通に本物のミルドラースが出てきて、皆で倒してハッピーエンドという映画なら良かったかというと、その限りでは無いと思います。
もちろん、映画は「誰もが納得する形で作らなければならない」などということはありませんし、むしろ前衛的で挑戦的であって欲しいです。
しかしながら、今回ばかりは酷評の嵐となってしまっており、これが本作の結果であると受け止めざるを得ないところかと思います。
この映画の功労“めっちゃドラクエ5をプレイしたくなる”
本作を観まして、1つ私が抱いた感情は“めっちゃドラクエ5やりたい”ということでした。
ドラクエ5は何周もしましたが、最後にプレイしたのはPS2のリメイク版が発売された時だから…あれ?いつだろう?
ということでお調べしたところ、
1992年9月27日 SFC版
2004年3月25日 PlayStation2版
2008年7月17日 ニンテンドーDS版
2014年12月12日 iOS版
が、それぞれ発売されているようです。
そんな暇は無いのですが、こうして記事にしていてめちゃくちゃドラクエ5をやりたくなってしまいました。
そして本当の“マイ・ストーリー”を深く胸に刻み込みたいものです。
※内容はあくまでJBの主観になりますのでご了承いただければ幸いです。