JB の ワイドアンドシャロー

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植物、クワガタ、マラソン、登山など趣味について綴るブログです。

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【ネタバレあり】「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」を観賞★★★★【考察とかじゃなく観賞直後の気持ちを熱いうちに書きたい!】

 私は25年来のスパイダーマンファンです。

 先日、「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」を観賞してきました。

 仕事の都合、家庭の都合、そしてコロナ禍であることなど複合的要素から、好きな映画と言えど観賞することが必ずしも容易でない中、無事公開され、観賞できた状況にまずは感謝したいと思います。

 今回、私如きが映画の考察や批評をすることなどありませんので、観賞当日の感想と言いますか気持ちを、いまだ熱いうちに記述させていただきます。

 いつも以上にまとまりのないものになろうかと思いますが、ご了承頂けましたら幸いです。

 

 なお、以下いわゆる「ネタバレ」を含みます

 観賞前に情報を入れることをお控えになられる方は、是非観賞後にお読み頂けましたら幸いです。

通常当ブログでは「ネタバレなし」で早めに記事をUPし、後日ほとぼりが冷めた頃に「ネタバレあり」の記事を書かせていただいているのですが、今回は特に思いを書いてしまいたいのです

 

 あともう1点、念の為申し上げるのですが、この記事は、特に観賞直後に書いてしまいたいという思いもあり、裏取りもせずに記述している箇所も結構ございますので、(いつもどおり大したことは書いていないのですが)不確かな部分がある可能性もございますので、「JBの主観的にこう思っているという程度のものだ」ということでご了承頂けましたら幸いです。

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まずは…ありがとう「親愛なる隣人スパイダーマン

 冒頭でも申し上げましたが、まずは本作が制作、公開され、無事観賞できた状況に感謝申し上げたいと思います。

 ありがとうございます。

 本当に最高の映画でした。

 子供達と観賞しましたが、皆大変喜んでおりました。

 

 また、劇場は非常に若い人が多く、MCUマーベル・シネマティック・ユニバース)によって、新たなファン層を獲得できているものと思いました。

 一方で、杖をついて歩いておられるご高齢のご夫婦もおられ、老若男女、劇場に足を運んでいる様子が伺われました。

www.spiderman-movie.jp

私のスパイダーマン偏愛歴

 当ブログでは、2年半ほど前に「アメイジングスパイダーマン」シリーズについて記事を書かせていただきました。

 私のスパイダーマン偏愛歴については、こちらの記事で書かせていただきましたので割愛させていただきますが、私がスパイダーマンに惚れた頃は今のようにスパイダーマングッズが溢れかえっておらず、翻訳されたコミックスを書店で探し出して購入したりしていたのでした。

 

 スパイダーマンの60年以上の歴史において、日本におけるスパイダーマンの歴史も古いです。

 1970年台には東映スパイダーマンが制作され、その特撮技術は後のスーパー戦隊シリーズなどに継承されていっているのです。

www.toei-video.co.jp

 それでも、近代においてスパイダーマンが今日ほどの市民権を獲得したのは、やはりサム・ライミ版実写版映画が公開されたことによるところが大きいように感じます。

 …申し訳ございません。

 ここまで書き出しておいてなんですが、このままでは、なかなか本題の「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」に入れませんので、この辺りにしておきます。

 今度こそ、以下ネタバレを含みますので、ご注意頂ければと思います。

スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」の考察とかじゃなく熱いうちに書きたい観賞直後の気持ち

ストーリーはやはり私が危惧したとおりになった

 まず、本作のストーリーですが、やはり私が2年半前に前記ブログ記事に記述させていただきましたように危惧していたようなニュアンスのものでした。

    お断りしておきますが、これは批判ではありません。

 私の好み上、できればそういった要素を主題レベルにまではして欲しくなかったなーとちょっと思うというだけの話です。

 上記記事で私自身が記述させていただいたものを抜粋引用させていただきます。

   スパイダーマンの主な特殊能力は、『スパイダーセンス(第六感)』と『壁などに吸い付くクモの吸着力』あとはざっと『その他肉体的強さ』ということになります(サム・ライミ版では糸の発出も能力)。

    ソーやキャプテンマーベルみたいなスーパーパワーは無いですが、その代わり特にマイナス面もありません。

    『大いなる力には大いなる責任が伴う』というだけです。

    ですから、とかくスパイダーマンは暗部にスポットを当てて描きがちかもしれません。

    確かに原作 は何十年も前の当時としては極めて珍しくそういった、ヒーローである主人公が葛藤する部分も描いた画期的な作品です。

    後の世界中のコミックなどに多大な影響を与えたことは間違いありません。

    しかしながら私個人としましては、実写映画版のスパイダーマンはリアリティを持って現代に求められた形に適合しながらも、明るく描いて欲しいなと思ってしまいます。

    『スパイダーマン3』ではヴェノムに心を乗っ取られはしましたが、自己解決し、ハリー・オズボーンとの仲も修復して最後には共闘していました。

    約2時間のスパイダーマンの映画で描かれる暗部は、この程度の“スパイス”でいいかなと思ってしまうのです。

    ヒロインが死んでしまって悲しい気持ちで終わるなど、スパイダーマン映画では嫌です(個人的に)。

 スパイダーマン映画、とりわけトム・ホランドゼンデイヤが出演する朗らかな印象の本シリーズでは、あくまでも特に爽やかに描いてほしかったという思いが、多かれ少なかれ私の思いとしてあります。

 前作「ファー・フロム・ホーム」のラストでスパイダーマンの正体がピーターであることが晒された時、間違いなくヒーローとしてのピーターの葛藤がテーマになるであろうことは容易に予想されました。

 これについても前作公開時の当ブログの記事で言及させて頂いています。

jbwideandshallow.hatenablog.com

    そしてエンドロール後の映像で、スパイダーマンの正体がピーターであることが暴露されてしまいました。

    それにしてもここである意味ピーターの最大のヴィランとも言うべき(?)デイリー・ビューグル社のJ・ジョナ・ジェイムソン編集長が登場したことにも驚きましたが、何よりサム・ライミ監督版『スパイダーマン』シリーズで同役を演じていたJ・K・シモンズだったことに驚きました。

    確かにJ・K・シモンズの同役は完璧でしたので、他の俳優さんだとしっくりこなさそうです。

    きっと次作からも登場してくるのでしょう。

    ピーターの正体が世間に知られることとなるのはコミックでもある展開です。

    きっと次作からピーターに様々な不幸が降りかかることと思います。

    これをフューリーらシールドが何か対処することになるのでしょうか。

    スパイダーマンはその明るいキャラクターのイメージ(ですよね?)とは裏腹に、不幸な展開が付き物です。

    実は私は、上記過去記事『やっぱり『アメイジングスパイダーマン2』でグウェン・ステイシーが死ぬのは納得できない【映画『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』(6.28世界最速公開)】』にも書かせて頂いたのですが、映画版スパイダーマンにおける不幸な展開は、スパイス程度で“ほどほど”にしておいて欲しいなという思いを持っています。

    特に非常に爽やかで好感の持てるピーター=トムとMJ=ゼンデイヤの恋愛が始まっていくのだという、こちらも爽やかな気持ちになったところに水を差された思いも正直なところありました。

    是非次作以降、(おそらく降りかかる)苦難を2人で“爽やか”に乗り越えて欲しいです。

 スパイダーマンの正体が敵に知られたり、公表されたり、それによってピーターが苦悩するという展開は、原作でも何度も描かれてきた展開であり、これが実写版映画で何度も描かれることも致し方ありません。

 「大いなる力には大いなる責任が伴う」という言葉を取り巻く苦悩は、スパイダーマンとは切っても切れないテーマです。

 「スパイダーバース」では、マイルズ・モラレスがこのセリフを言おうとしたのをピーターが苛立ちながら制止している描写がありましたが、そういうものなのです。

 

 今回の展開、そしてラストも含めましてやはりピーターがいささかかわいそうかなと思いますね。

 特に前2作の学園もの的要素のことを考えますと、尚更切なくなります。

 不憫でなりません。

 

 ただし、そこはやはりMCUですから、今後ドクターストレンジの続編などで、このあたり、つまりMJやネッド、アベンジャーズまでもがピーターのことを知らないという展開について、何か変化があるのかもしれません。

 物語最後のピーターは、スターク社製のスーツでなく、お手製のスーツに身を包んでおり、リセットというかリボーンされた感じです。

 前向きに解釈するのであれば、何らかの形で仲間達との関係が概ね元通りになるのかもしれませんし、これからまた新たなストーリーが描かれるのかもしれません。

 私の希望的観測では、前者であって欲しいとは思いますが。

トビー・マグワイヤとアンドリュー・ガーフィールドの登場

 私は劇場で観たいと決めている映画の場合いつもそうなのですが、今回は特に本作について事前情報を入れないように努めていました。

 というのは、いつ頃だったかは覚えていないのですが、かなり早い段階で、トビー=ピーターとアンドリュー=ピーターが登場するのではないかと囁かれていました。

 また、トム・ホランドを含めた3人が写った撮影風景の画像なども流出していました。

 こういったものは、SNSなどで、事前情報を入れないよう努めている私でも偶然目にしてしまっていたのでした。

 

 私は「そんなはずはないさ」と自分に言い聞かせ、忘れようとしていました。

 そんなことをしてしまってはストーリーの収拾がつかないと思いつつも、2人が出演してくれたならどんなにか楽しいだろうという思いも持ち合わせていました。

 

 そんな私ですが、今作で(アメイジングスパイダーマンがマスクを外してアンドリューのご尊顔が現れた時、涙が溢れてきました。

 「本当に出た!」と思いましたし、大変嬉しく思いましたが、自分でもよくわからない反射的な涙でした。

 少なくとも「仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER」に佐藤健が登場した時の100倍は驚きました。

 一方で、純粋に疑問なのですが、このマルチバースな展開について、前シリーズに馴染みの無い方や、お若い観客の方はどのようにお感じになられているのでしょうか。

 スパイダーマンマルチバース設定については、映画「スパイダーバース」を観賞したりだとか、コミックスの「スパイダーバース」をお読みになっていないと、いささか唐突なのではないかと心配してしまいます。

 話は若干逸れるのですが、前作「ファー・フロム・ホーム」公開後、マーベルとソニーが金銭面で折り合いがつかずに揉めて、続編はMCUから離脱するのではないかと言われていました。

 簡単に申し上げますとスパイダーマンはマーベルのキャラクターですが、映画化権はソニーが有しています。

 前作では並行宇宙はむしろ否定的に描かれていたと言えなくもないと思いますし(ミステリオは並行宇宙からきたと嘘をついていたわけですから)、今回のマルチバース化はいささか唐突に感じなくもないのです。

 もしかしたら、マルチバース化はソニー側から持ちかけたのであり、そのあたりもマーベル側と折り合いがつかなかった要素の1つだったのではと邪推してしまいます。

 

 しかしながら、いずれにしましても、今回前2シリーズのスパイダーマンが登場したことは、純粋に喜んでいいことだと断言します。

 個人的に、私は本当に感激しました。

 私はもう前シリーズのお2人が好き過ぎて、おそらくもう純粋な気持ちで見られていませんので、この展開がお気に召さなかったという方がおられましたら恐縮です。

アンドリュー=ピーターがMJを助ける場面について

 ところで、前記当ブログ記事で、アンドリュー=ピーターがグウェン・ステイシーを助けられなかったことに触れておいて、このことに言及しないわけにはいきません。

 グリーンゴブリンのせいで高所から落下するヒロイン(MJ)を、今度は見事に救出し、アンドリュー=ピーターは涙ぐむのでした。

 これはある種お約束だったのかもしれないのですが、私はやはり純粋に嬉しかったです。

 アメイジングスパイダーマンシリーズは、興行成績が振るわず、言わば打ち切りのようになってしまっており、誤解を恐れずに申し上げますと、「アメイジングスパイダーマン2」でわざわざグウェン・ステイシーを殺しておいて、そのままになっていたわけです。

 このことがフォローされる日が来るなんて、これまで想像したこともありませんでした。

 短いシーンでしたが、本当に嬉しかったですし、涙が溢れました。

アンドリュー=ピーターが「印象に残った敵」

 あと1つアンドリューについて追加で触れさせて頂くのですが、3人のピーターの会話で「今まで戦った強い敵」みたいな話になって、トムはサノス(紫のエイリアン)のこと、トビーはヴェノム(黒いエイリアン)のことを言っていました。

 ここでアンドリューは「大したことがない」と小さくなりながら、「ロシア人。サイのスーツを着てた。」と言うのです。

 これは「アメイジングスパイダーマン2」のラストに登場した「ライノ」のことですが、これも嬉しかったですね。

 ご覧になられた方はおわかりだと思いますが、ライノは登場したものの、スパイダーマンがマンホールをライノにぶつけたところで映画が終わるのです。

 ここも非常に良い場面で、グウェンを失ったピーターは一時活動休止するのですが、そんなニューヨークにライノが現れます。

 このライノに立ち向かうスパイダーマンの格好をした少年、そこにピーターが復活。

 (グウェンが死んだのは許せませんが)非常に前向きな終わり方をしてくれたのに、結局その後半ば打ち切りになってしまったのです。

 ですから、結局描かれなかったライノとの戦いのことに触れてくれたのは嬉しかったですね。

メイおばさんの死と「大いなる力には大いなる責任が伴う」

 これも前述の、要はあまり暗い話にしないでほしいという件と被るかもしれないのですが、今作でメイおばさんの死が描かれてしまいました。

 前述のとおり、こういった悲しい要素は少なくしてほしかったという思いもありますし、しかも今シリーズのメイおばさんは若く朗らかに描かれていましたので尚更です。

 しかしながら、この場面は「大いなる力には大いなる責任が伴う」の展開がありましたので、もうこればっかりは受け入れざるを得ないのかなという思いもあります。

 

 グリーンゴブリンの爆弾が爆発した時、「まさか、メイおばさん…」と思いました。

 しかし、生存していたことで、正直なところ私は一旦安心してしまいましたので、急に死に転じることとなり、大変驚きました。

 

 映画「スパイダーバース」でも、それぞれのスパイダーマンは、それぞれ大切な人を失っていました。

 悲しいかなスパイダーマンが大切な人を失うエピソードは、切っても切れない運命なのです。

ドクターストレンジのミスから始まるストーリー

 私は観賞前は、トレイラーなどの情報(できるだけ事前情報を入れないようにしている私ですが、トレイラーは繰り返し観ます)から「ドクターストレンジの魔術は成功して人々から記憶を消すことに成功するものの、これをきっかけに並行宇宙のヴィランを呼び寄せてしまった」とか、なんなら「マルチバース化してしまった理由は、実は裏で手を引く強大なヴィランがいた」とか、ドクターストレンジの過失が極めて小さいものとするストーリーになっているのではないかと思っていました。

 タイムストーンを失ってしまったとは言え、至高の魔術師のドクターストレンジがこれ程のミスを犯すとは到底思えませんでした。

 魔術の途中でピーターが色々条件付けしたのが悪かったと言えばそうなのですが、こんな条件付けくらいあって当然なわけですから、「魔術を始める前にちょっと確認しておけばよかったんじゃない?」とツッコミたくならなくもありません。

 ただ、原作においてもスパイダーマンとドクターストレンジの関係は古く、1970年台にはすでにそれぞれの物語に登場するなど、旧知の仲だったようです。

 こういった背景を知っていれば、あるいはピーターがすぐにドクターストレンジを頼る展開もすんなり受け入れることができたのかもしれません。

 

 ドクターストレンジの魔術は意外と融通が効きそうでしたので、最後の魔術ももうちょっとなんとかしてあげて欲しかったと思ってしまいます。

 

 まあMCUヴィランは結構トニー・スタークを取り巻くところからヴィランが発生していますから、内輪が原因であるのはファンからすれば慣れっこですね。

過去ヴィランが今回のヴィラン

 過去のヴィランが、当時のキャストのままで登場したのは素直に嬉しかったです。

 ただ、この人達が今回のメインヴィランとまでは思っていませんでした。

 

 まあこれまでもスパイダーマンは同じ敵と何度も戦っているわけですからなんら問題はないのですが、誰か新たな敵が出てくるのかなと勝手に思っておりました。

 

 こうなってきますと、グリーンゴブリン(ウィレム・デフォー)の果たす役割は本当に大きいですね。

 ヴィランであって、哀愁があり、二重人格を演じられる人でないと無理なわけですが、ウィレム・デフォーはピッタリです。

 そもそもサム・ライミスパイダーマンの時も、スパイダーマンが単なるコミックの実写化に留まらなかったのは、彼が与えた深みによるものと言っても過言ではありません。

 スパイダーマンに敗れた死に際に、「ハリーには言うな」と言って死んだのはなんだか強烈に覚えています。

 

 あとは、アイアンスパイダーマンVSドクターオクトパスも面白かったですね。

 

今作は前提として「マルチバース」を受け入れなければ楽しめない

 私は昔からスパイダーマンが好きで、多かれ少なかれ盲目的になっているのですが、実際過去のスパイダーマンヴィランが登場する展開はいかがでしたでしょうか。

 受け入れられたでしょうか。

 

 並行宇宙に様々なスパイダーマンが存在するという考え方はかねてから存在します。

 この画像はスパイダーバースのコミックスのチラシですが、これまで多くのスパイダーマンが登場しています。

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 この考え方があらかじめできていますと、今回他のスパイダーマンが登場することを割にすんなりと受け入れられるはずです。

 

 さもなければ、「なんで前のスパイダーマンなんか出すの?」となってしまいそうです。

 

スパイダーマンという作品は、元々そういうのがアリなんだ」と、そういう認識がないと純粋に楽しめないのではと考えてしまうのですが、大丈夫でしたでしょうか。

 私はアンドリューがマスクを外した途端に感激モードに突入していました。

 

 ストーリー自体は非常にシリアスな要素が多かっただけに、過去のスパイダーマンヴィランが登場、共闘した展開は、素直に皆で喜べたらと思います。

最後に

 もしか、万が一ここまでお読みくださったという方がいらっしゃいましたら、本当に奇特なお方です。

 ありがとうございます。

 

 私自身、本記事を書きながら、「こんなもの、一体誰が読むのか」と思いました。

 いくら自己満足でやっている私でも、何をやっているのかわからなくなるところでした。

 

 それでも、まだまだ思ったことがいっぱいあったので、もし気が向いたら追記させて頂くかもしれません。

 

 さて、今後のスパイダーマンについてですが、どうも契約満了とされたトム・ホランドが新たに契約を締結し、次作以降もピーター役を演じる模様です。

 大変嬉しいです。

 

 先述しましたが、今作最後のピーターは、スターク社製のスーツでなくお手製のスーツを着用しており、かつ誰も彼の正体を知らない状態となったということになりますと、言わばスパイダーマンは正体不明の、孤高のスーパーヒーローであるという初期設定に戻った形です。

 今作のピーターはあまりに不憫であると言わざるを得ず、今後この状態からなんらかの形でうまいことやるか、ドクター・ストレンジの続編などMCU映画でうまいことやるかということなのかと希望的観測をしております。

 

 私にとって25年以上”親愛なる隣人”であるスパイダーマン

 これからも応援していますし、世界の憧れであってほしいです。

 

 

※内容はあくまでJBの主観になりますのでご了承いただければ幸いです。

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